選挙について、吉本隆明、羽仁五郎、藤沢周平

今年か来年か、総選挙があり、そこで、「原発推進か、否か」(「TPP参加か、否か」という問題も、大きい)という国民の意思が、問われる。

去年の福島原発事故の後、被災した住民の1人が、「なんにも悪いことをしていないのに、こんな目にあってしまって・・・」と語っていたが、もし彼が選挙で、自民党や原発推進の政治家に投票していたとしたら、「悪いこと」をしたということではないが、原発に反対せず、賛成していたということで、原発の存在、また事故についても、責任の一端はあったとみるべきだろう。

選挙といえば、先日、近くの図書館で、吉本隆明の本をぱらぱらめくっていたら、彼が、戦後最初の総選挙で投票して以来、それから1回も選挙で投票していない、ということを述べていて、ちょっと驚いた。
(『宗教の最後のすがた』 吉本隆明著 春秋社 1996年刊)

吉本隆明。
選挙、国政だけでなく、県や市レベルの選挙も一切、投票しなかったようだ。
「戦後思想界の巨人」と言われていて、投票行動しなかった理由については、もちろんいろいろあったに違いないが、その態度、行動については、政治に無関心な私の甥や姪が、選挙に全く行かないのと、全く同じだ。

吉本隆明に、『13歳は二度あるか』という著書がある。
この本の中で、彼は、「13歳になったら、新聞を読もう」、「世の中の動きを知っておこう」と、書いている。

また、イラクへの自衛隊派遣について、こんなことも書いている。
「現在の小泉内閣のやっていることを見ると、日本という国が、アメリカの州のひとつになってしまったような感じがします。ただアメリカに追随しているだけで、もうこれは主権国家のふるまいではありません。
小泉首相は、国と国との『外交』を『社交』と間違えているのではないかと思います。」

「アメリカとの『社交』のために、こういうことをやろうとしている小泉内閣に文句を言わない日本の国民というのも困ったものです。」

小泉内閣に文句を言わないのは、日本の国民だけでなく、筆者の吉本隆明もそうだろう。
選挙で、小泉自民党に反対票を、1回も投じていないのだから。

「新聞を読もう!」と力説した人といえば、羽仁五郎だ。

吉本隆明とは違い、羽仁五郎は、言葉だけでなく、行動の人だ。
(吉本隆明も、ネットで見ると、60年安保のときは、行動したようだが。)

戦時中に思想犯で逮捕され、敗戦を獄中で迎えた彼は、戦後、無所属で参議院選挙に立候補して、1947年から56年まで、国会議員を務めた。

そして参議院図書館運営委員長として、「従来の政治が真理に基づかなかった結果悲惨な状況に至った。日本国憲法の下で国会が国民の安全と幸福のため任務を果たしていくためには調査機関を完備しなければならない」と語り、 国立国会図書館法の制定に尽力し、またその国立国会図書館の副館長に、中井正一を自分の推薦で招いた。

また、その前文である「国立国会図書館は、真理がわれらを自由にするという確信に立って、憲法の誓約する日本の民主化と世界平和とに寄与することを使命として、ここに設立される。」は、おそらく羽仁五郎の言葉だと思う。

羽仁五郎は、この法案の起草に参画したと言われるし、少なくとも「真理がわれらを自由にする」という言葉は、羽仁五郎の言葉だ。

後年、羽仁五郎は、選挙の際、「野党第一党に投票を集中せよ」と呼び掛けた。
(吉本隆明とは違い、本人ももちろん投票しただろう)
自民党政権を倒すためには、野党の連合が出来ていなければ、野党第一党に投票を集中させて、政権交代させるしかないという考え方だ。

「野党第一党に投票を集中させよ」に真向から反対するのが、共産党。
当選する見込みが全くないのに立候補して、野党の票を分散させて、結果、自民党候補の当選に寄与する。
そのため、共産党は、自民党の別動部隊と言われていた。

羽仁五郎が在世していた頃の、野党第一党といえば、社会党。
社会党といえば、藤沢周平を思い出す。

藤沢周平は、社会党の候補者にカンパをよく出していたようだが、師範学校の同級生が、共産党から衆議院選挙に立候補したときは、その応援演説をした。

エッセイでは政治のことは一切書かない作家が、その実生活では、政治に自らかなり積極的に関わっていたということだ。

「こういうことをやろうとしている小泉内閣に文句を言わない日本の国民というのも困ったものです。」と、本に書きながら、選挙には全く行かない吉本隆明よりも、本には全く書かないが、実生活で、地味ながら政治的な行動をする藤沢周平に、私は好感を覚える。

しかし、民主主義を制度として採用しているこの日本で、その「代表的な思想家」といわれる人物が、選挙において、投票行動を一切しないこと、ちょっとさみしく思う。

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